1985年9月19日、8対1で読売に大勝した試合が終わるとナゴヤ球場のマウンド付近にドラゴンズの選手たちが集まった。背番号4がその中心に押し込まれ、夜空に舞い上がった。観客3万5千人は誰一人このセレモニーが終わるまで帰らなかったと往時を知る人は語りついでいます。

このときケン・モッカは外国人としては初めて胴上げされて引退した選手となったのです。
最後の試合では、7回ツーアウト、7番・尾上旭の代打として登場。巨人・西本聖投手のシュートにつまり、ボテボテの三ゴロに倒れた。鳴り止まぬ拍手に押されて山内一弘監督もこれに応えずにはいられなくなった。サードの守備に就いたケン・モッカは9回、篠塚利夫のゴロをお手玉して“お家芸”のシーズン24失策目を記録した。
帰国後はマイナーリーグのコーチ、監督を務め03年から4年間はオークランド・アスレチックスの監督。「日本で学んだ“耐えること”」を精神的な柱にしてアメリカンリーグ西地区で優勝2回、2位2回の成績を残した。中日の球団内部では監督として、たびたび名前が挙がっておりながら実現には至りませんでした。

